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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

第四十四回大手町落語会

2017年8月5日「第四十四回大手町落語会」
         @日経ホール



柳家やなぎ『子知る』
鈴々舎馬るこ『鮑のし』
柳家喬太郎『小政の生いたち』
~仲入り~
桃月庵白酒臆病源兵衛
柳家さん喬『子別れ』




かなり前にチケットを購入したので忘れ
かけていた。
真夏のホール落語もまた一興、顔付けに
惹かれて購入したものと思われる。



日経ホールは初めてではないが、別件で今
夏何度目かの最寄り駅に降り立つ(その日は
ワンピ着用でしゃなしゃな降りたが、別件
は頭に手拭・作業着・安全靴、
Hervé   Chapelierのやや大きめのバッグの中
にヘルメットとコンパクトカメラという、
職質フラグ立ちっ放しの出で立ち)。



日経ホールの客席は椅子の横幅が広く、
ゆったりとしている。左隣は空席だった。



馬るこ師(真打目出度い)『鮑のし』。
馬るこ師の本領はこんなに大人しくは無
いはずだ、と思いつつ。
しかしながら、おかみさんがダメ旦那に
口上を教える場面に「マスオさんとアナ
ゴさんのBL」を盛り込むなど、客層を見
つつギリギリの展開なのだろう、と推察。
現役の落語家さんで拝聴した『鮑のし』の
なかで、一番面白かった。



この『鮑のし』のように、聡明なおかみさ
んがダメ旦那に世の理(ことわり)を教える
パターンの落語が幾つかあるが(『粗忽の釘
『堀の内』『錦の袈裟』など)、単純に世相
を反映したものなのか、落語の構造的特徴
(諧謔性)であるのか不明である。



喬太郎師『小政の生い立ち』。
この時喬太郎師は、鈴本演芸場中席夜の部
主任として、日替わり即興「三題噺」地獄
に苦しんでおられたようだ。
私は残念ながら都合が付かず行くことが出
来なかった。
この落語会での喬太郎師は、心なしかやつれ
ておられるように見えた(馬るこ師に○ブ認定
されていたけれども)。




『小政の生い立ち』は講談(釈)由来(『清水次郎
長外伝~』)の噺だが、マクラも含めて「型」に
はまっているかのような印象を受けた。という
のも、もらった番組表に、「過去の八月公演ネ
タ帳」が載っており、喬太郎師はすべて新作(創
作)をかけておられるのだが、『路地裏の伝説』→
『ほんとのこというと』→『孫、帰る』→『任侠
流山動物園』→『同棲したい』→『あの頃のエー
ス』→『小政の生いたち』(今回)。という流れの
なかで、やはり『小政の生い立ち』は異質な印象
を受ける。元ネタが同じとは言え、『任侠流山動
物園』と『小政の生い立ち』は明らかに性質が異
なる。「三題噺」の反動だろうか、と邪推してし
まう。


(ンだからどうしたぃ、やりたいからやっただけだぃ
こんちくしょう、という空耳が聞える。ような気が
する)



(そして右隣に不穏な空気が漂い始める)



白酒師『臆病源兵衛』。
この噺自体拝聴するのは初めてである。あまりかけ
られる機会がない噺だったようだが、白酒師の大師
匠である十代目金原亭馬生が復活させたらしい。
白酒師が演じるととても面白いのだが、下げが分か
りにくい。これがあまりかけられることがなかった
理由かもしれない。



さん喬師『子別れ』。
私はさん喬師の高座が大好きだ。しかしながら、
周囲にマナーの悪い客が座ることにより、その清冽
な時間を享受できなくなる。
不運、としか言いようがない。



右隣の老夫婦の老夫の方が、とにかく落語会の
最初から最後まで、食ったり(アンパン、飴)飲
んだり(ペットボトルの何か)しており、匂いも
あるのだが、くちゃくちゃ盛大に音を立てるの
に辟易した。



さん喬師の高座に至って(けっこう前の方の席だっ
たので、さん喬師にも聞えていた可能性が高い。
一切頓着されていないようだったが)、
耐えられなくなった。そんなに高座中に飲み食
いしたいのであれば、寄席に行けば良い。
開演前のアナウンス(会場内での飲食はおやめ下
さい)なんぞ聞いちゃいない。その老夫ではない
が、メールの着信音と思われる音(ぴろろ~ん、
とかいう間抜けな音)も何度か鳴っていた。



落語なんだから、そんなに目くじら立てる必要
はない、神経質すぎる、と言われるかもしれな
いが、落語は滑稽噺ばかりではない。
『子別れ』はあまり好きではないのでまだ良かっ
たが、『たちきり』だったらやらかしていたかも
しれない(無言で胸ぐら掴んで叩き出すとか。お約
束)。
三鷹市芸術文化センターの某氏に愚痴りたい気持だ。



「墓場に近き老いらくの、『欲』は怖るる何ものもなし」。
度し難い。



検索してみて「席運神社」というものが存在すること
を知った。新大久保の皆中稲荷神社(天文二<1533>年
奉斎)のことで、「みなあたる」と読めるので、勝負運、
くじ運に御利益がある神社とみなされているようだ。
あやかりたい。