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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

『師匠』 立川志らく(集英社 2023)

『師匠』 立川志らく (集英社 2023)

 

  


立川志らく師が「小説すばる」で師匠立川談志との逸話をもとにした
エッセイを連載していることは寡聞にして知らなかった。
本書が出ることを知り、志らく師がテレビの朝のバラエティー番組に
MCとして出演すると知った時と同じくらい少し驚いた。
そして『雨ン中の、らくだ』(太田出版 2009)を想起せざるを得なかった。
本書は帯の言葉を引用すれば、

志らくによる談志 落語をめぐる、壮絶なる師弟の物語”

であり、『師匠』の前駆的著作と言えるだろう。ただし、「まえがき」
にもあるように、第24回講談社エッセイ賞を受賞し、豪華キャストで
ドラマ化された兄弟子談春師の著作『赤めだか』(扶桑社 2008)を多分
に意識し、二匹目のドジョウを狙った感が濃厚な、下心が仄見える。
そのため『師匠』よりも本音が荒削りに生々しく出ており、志らく
が好きな談志の持ちネタの章立てになっていて読み易く、今読んでも
十分に面白い。

では、師匠談志の逝去後メディアに大々的に露出し、「朝の顔」にま
でなった志らく師が、改めて披歴した師匠に対する意識は、どう発展
変化しているだろうか。
『雨ン中の、らくだ』は「『談志と志らくと、時々、高田文夫』が隠
れタイトル」とされ、実質ふたりの師匠を軸として書かれていた。
『師匠』では、やや粗い目の織物をほどき、談志家元、高田文夫先生
(一介の客が先生と呼ぶことをお許し願いたい)、談春師の糸が太く目立
つ色になりつつ繊細に織りなしている印象である。

師匠と弟子、その恋愛でも宗教でもない、甘辛い蜜の関係性の面白さ
は、芸に秀でた人間同士の情にまみれた駆け引きの面白さに等しい。

1993年の深夜にフジテレビで放映されていた「落語のピン」(検索して
エンディングが国本武春師匠の『ええじゃないか』だったことを知る。
まったく記憶にない)を観て、子供ながらに談志家元のファンになり、
ようやく自分で稼いだお金で落語会に行けるようになった時には談志
家元は病に侵されていた。まず談春師の独演会に行き、志らく師の独
演会にも行くようになった。
2011年の東日本大震災発生直後の独演会にも命がけ(当時はそんな気構
えだったが大袈裟かもしれない。寄席は翌日から興行していたわけだし)
で行き、談志家元を継ぐかたちの年末のよみうりホールでの独演会も7
回までは皆勤だった。
しかしいつしか志らく師の独演会には足を運ばず、談春師の独演会に集
中するようになった。
本音を言えば志らく師の演劇熱にはまったく興味をもてず、落語にも身
内(家庭)の影が濃く見えるようになったからだ。
それ故第三章で、演劇に夢中になり落語が疎かになっていたと自覚し、
高田先生(酩酊されていたのは照れ隠しだろうか?)に諭されたと書かれ
ていたのが意外であり、自分の感覚が間違っていなかったことが分かっ
て不思議な安堵感を覚えた。

高田先生の小言は朝まで続いた。
ようやく解放されたとき、私は人気のない銀座の町にたたずみ、
泣いた(p177)

このくだりを読み、涙を禁じ得るはずもなかった。
志らく師の独演会に足を運ばなくなってから暫く後の5年前、久し振り
三鷹の独演会に行き、初めて志らく師の『黄金餅』を拝聴した。
かけること自体が珍しいのではないだろうか。凄まじい、心が打ち震え
る高座だった。特に願人坊主の西念があんころ餅に銭をねじ込んで呑み
くだす場面は、鬼気迫る凄さで客全体が呆気に取られ硬直する程だった。
その様子は内なる何かと闘っているようにも見えたが、内なる談志家元
と見るのは穿ち過ぎだろうか。
いずれにせよ、この時志らく師の軸足が演劇ではなく落語に置かれてい
たことは確かだ。

志らく師と談春師の関係は複雑怪奇だ。アイドル並みだったという立川
ボーイズの延長としての連帯関係もあるだろうが、志らく師が本書で何
度か談春師を「かわいらしい」と言っているのが印象的だ。
好敵手にして談志家元の血を分けた兄弟分としての余裕だろうか。
談春師が何年か前の独演会のマクラで「志らくがいなければ談春は存在
しない。談春がいなければ志らくは存在しない」と言っていたことを思
い出す(うろ覚えだが主旨は違っていないはず)。
師匠談志家元は、お二人をどう見ていたか。

この二人、最低線(いまのまま)でも充分喰える。けど、
家元という原点(もと)が居なくなったとき、それを自評
するセンスだけが心配であるが、これとて仕方あンめぇ、
生成り行きでござんす…。
高校生の談春、大学生の志らくも、大人の歳ンなった。
月並みだが人生は速い。「充分に生きろ」である。
(『芸談 談志百選』中央公論社 2023 p306)

限りなく親切な師匠、談志家元を裏付ける文章が『談春 古往今来』
(新潮社 2014)にある。

師匠はよく言っていました。
「偉くなると大変なのは、良いも悪いも善悪も全部、
 自分で判断しなければならないことだよ。
 その自分の判断の良否も、また自分で考えなきゃ
 いけない」
 (p134)

談志家元が師匠小さんは心のなかにいる、と言っていたように、
お二人の心のなかに今も師匠談志はいるのだろうか。

談志家元が現実に存在するかしないかの差があるが、『師匠』の
最後は『雨ン中の、らくだ』と同じような場面で終わる。これは、
意図的にしたことのように思える。
本書は落語家に限らず師匠と弟子の秘密の情(錠)を解く鍵であり、
滅法面白い鎮魂の書である。