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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

立川談春独演会2016@秋川

2016年10月10日
立川談春独演会 2016
@秋川キララホール

 

立川談春
『ぞろぞろ』
~仲入り~
『らくだ』

 



談春師の独演会に通い続けて約6年。
(主に東京都内だけだが)
ようやく『らくだ』を拝聴することができた。



東京は西のローカル線、青梅線五日市線
(秋川まで行くには一度青梅線の「拝島」駅で降りて、
五日市線に乗り換えるのですよとても東京とは思え
ません)は、未だにドアが手動で、乗客がボタンを押
してドアを開閉しないといけない仕様である。



ドラマ出演、あるいは来年公開の映画に出演した際の
話(マクラ)は正直どうでも良かった。私はジャニーズに
は何の興味もない。


『ぞろぞろ』を始めた時、やった、『らくだ』をやる!と
内心狂喜した。というのは、10月から再開した全国独演会
ツアー、地方でかけた演目がそのセットだったからだ。
仲入り中は気もそぞろで、スマホで猫動画なんぞ見つつ、
気を落ち着けていたりなどしたのだった。



やや短いヴァージョンだったが、期待は裏切られなかった。
談春師は、自分のを聴かなくても、名人の名演を聴いてい
れば良い、と言うが、名人の名演はいつでも聴ける。
だが生高座を聴ける落語家は限られている。
「今」しかない、のだ。



談春師の『らくだ』は、志らく師の『らくだ』と同様、
屑屋の九六のルサンチマン暴発部分に力点が置かれて
いるように見えた。
それはやはり師匠談志の影響だろうか?


例えば、喬太郎師の『らくだ』の九六は、「らくださん
に苛められないと、生きている実感がわかない」と言う。
それを聴いて、心底驚いたものだ。九六がマゾヒストだっ
たとは!(そう、サディズムマゾヒズムも多分に「実存主
義」的なのだ)



談春師はやはり、色々な意味で「粋(意気)がるひと」がうまい。
丁目の半次と九六の権勢が入れ替わっていく部分は、その
切り替わる瞬間が、あまりにもスムーズで分からないくらい
だった。
そして九六がらくだに対する恨みごとを言い立てる場面は、
志らく師もそうだが、「下層」において辛酸をなめたことが
ある者にとっては、身につまされて辛い。


隣席の夫婦の足癖の悪い嫁(この人しきりに眼やにを取って
捨てていた。やめとけはしたない)が、その場面でけらけら
笑っていたが、どうしてそこで笑えるのか、まったく解せ
ない。おそらく虐げられたことなどない、幸福な人生を送っ
てきたのでしょうね。



『らくだ』上演中、時間を置いて何度も携帯電話の着信音を
鳴らしていた唐変木がいた。扱い方が分からないご老人だ
ろうか?席が近くはなかったので、如何ともしようがなかった
が、近くだったら確実にやらかしていた(例えば、ぶん殴る、
とか首根っこ捕まえて外に叩き出す、とか)であろう自分が
恐ろしい。



今回参ったな、と思ったのは席が最前列であったこと。
真中じゃないからまだ良かったが、開き直って談春師を
ガン見して、一度だけ眼が合ったような気がした。
怪訝な顔をされたように見えたが、すみません、
睨んでいたわけではないです。やっぱり最前列なんざ
御免だ、落ち着かない。



この秋川での落語会は、由緒あるものであるらしく、
今回の独演会は、呼ばれたのではなく、談春師が自ら
やらせてほしい、と言ったらしい。
このホールには初めて来たものと思い込んでいたが、
3年前に一度行っていたのを、ここを検索して知って愕然
とした(大丈夫なのか、我ながら)。
「キララ寄席」で、その時の顔付けは木久扇師、雲助師、
喬太郎師だった。(どういうチョイスなのだろう)

 

後日今度は東京の東、江東区での独演会では、
『九州吹き戻し』『蒟蒻問答』をかけたらしい。
そう、まだ『包丁』も『九州吹き戻し』も『山号寺号』も
聴いていない。



そして談春師の高座通いは続くのだった。