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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

『談春 古往今来』

談春 古往今来』/立川談春 新潮社 2014



落語家立川談春の自選インタビュー記事、エッセイ25
編が収録されている。
巻末の「独演会リスト」が、ファンにとっては有難い。



粗野なのか繊細なのか。
論理的なのか感情にとらわれているのか。
複雑怪奇、実は単純?全く聡明。


名状し難きその魅力は、「言葉」という、人にとって
不可欠な「道具」への絶対的信頼からくるものだろうか。


時には「武器」にもなるそれを、研ぎ澄まし、調え、
抜かりなく取り出してみせる、凛とした佇まい。
その舌鋒は鋭く、受け取る側は痛みを覚えさえする。




  「 実際自分は劣っていると意識した上で、それでも自己を
   変えたいという本気があれば、願望を口に出して唱える
   のは有効だよ。格好いいことばかり言ってりゃ少しはそ
   れに近づこうと人間努力する。リセットはできないとい
   う経験を踏まえて、あらためて覚悟しなおすという意味
   で、春という季節はあるのではないか。
   『四十にして惑わず』とは決して満を持してという意味
    ではないと思う。思い通り生きられる人間の数なんて
    きっと限られているはずだ、ぐらいの実感は、お互い
    にもとうや。」

         (『弟子は去り、また覚悟の春がくる』29-30p)




痛い。しかし受け止めなければいけないと思わせられる
のは、「言葉」を商売道具にしているプロへの信頼と尊
敬故か。自分の武器や商売道具の手入れを怠るなんてそ
れこそ「半ちく」ってやつだろう。



ローリングストーン」誌日本版に掲載された『煙たい男』
で、インタビュアーのジョー横溝(ラジオInterFM 「The Dave
Fromm Show」でお馴染みの)に対し、インタビュー中の禁煙
云々に関して初っ端からキレる談春
それから終始機嫌が悪く語気が荒い。研ぎ澄まされた刀―備
前長船でも何でもよいが―を自在に操る様を見るようで、た
まらなく格好良い(ジョー横溝が怯んで及び腰な様もまた目に
浮かぶようだ)。




最も印象深く心に刺さったのは、やはり「文藝春秋」2012年
1月号に掲載されたエッセイ『さようなら、立川談志』だ。



私自身は、落語という伝統芸能そのものは子供の頃から好き
だったが、「落語家立川談志」を認識したのは、1993年にフ
ジテレビで深夜に放映されていた「落語のピン」を見て後の
ことで、生前生の高座に足繁く通ったコアなファンではない
が、喪失感は相当なものだった。



その弟子が受け止めなければならなかった喪失感、というも
のは、想像を絶する。


   「僕は立川談志がいなければ、この世に存在しえない芸人です」
                  (『さようなら、立川談志』136p)


「師匠」がいる、ということの、恍惚と不安。
芸人の弟子は、師匠に対し、「あなたが好きです。惚れたんです」
と告白し、命を擲つ。師弟とは、何と甘美な関係だろう。
師匠は弟子に、血の滲むような努力をし、丹精込めて育てた種
―技術―を分ける、惜しげもなく。
忽ち腕いっぱいになる花々も、やがては枯れる。


   「断ち切んなきゃいけない。
    葬儀で流れた『ザッツ・ア・プレンティ』って、『さようなら』
    なんでしょう。
   『これで満足』って言われりゃ、残された奴は明くる朝からごはん
    食べて、会社に行かなきゃいけない。
    さようなら、立川談志。」

                   (『さようなら、立川談志』137p)



談志が亡くなった翌年、談志より一歳年下の父が、
談志の命日の4日後に亡くなった。
同じ年、談春師が敬愛する中村勘三郎が急逝した。
そして昨秋、談春師の御父様が亡くなった、と知る(今年
初めの独演会で「昨年、身内を亡くした」と言ってはい
たが)。


私はまだ断ち切れてはいないかもしれない。
「さようなら、お父さん」と、涙なしに言える自信は無い。
しかし、いつまでも枯れた花束を抱えているわけにも
いかない。


巻末の「独演会リスト」を見て、コンスタントに独演会に
通うようになって(勿論東京近郊すべてに行けているわけで
はないが)、まだ4年しか経っていない事実に愕然とした。


未だに『文七元結』も『らくだ』も、『包丁』も『居残り佐平次
も聴けていない。聴きたい、という渇望はいや増すばかりだ。


渇望、を満たしたければ。

枯れた花束を捨てて、ごはん食べて会社に行くしかない。

まだもう少し生きなければいけないのだから。