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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

L'eau va toujours à la rivière

2011年7月16日

rakugoオルタナティヴvol.5柳家と立川
草月ホール



落語会に行くのは月に二度まで!(苦渋の選択)と決めて、
今月二度目は実質柳家さん喬師と立川志らく師の二人会。
緊張感に溢れ、いやがうえにも募る期待感。あまり落語
界の確執とか実情とかは分からない新参者なので、さん喬
師匠と志らく師匠の高座と、お二人の「座談」を純粋に楽
しみにしつつ向かった。


ど素人とは言え、五代目柳家小さんの弟子だった談志家元が、
柳家一門からも落語協会からも脱退して、立川流を創設した
ことは存じています。また、客としては「確執があった方が
面白い」と思う人が多いであろうことは容易く想像できる。
落語界にしろ、色々な学問の世界にしろスポーツの世界にし
ろ、「強敵(ライバル)」が存在することによって、活性化・
進化していくのが道理であるのではないか、と。



ようやく読了した立川志らく著『落語進化論』(新潮選書 2011)
において、数年前、ある落語会で、談志家元が柳家喬太郎師を
無理矢理高座から降ろした、という記述を読んで初めてそのこ
とを知ったが、驚くと同時に悲しい気持ちになった。
それでは、喬太郎師のファンが談志家元を嫌うようになってし
まったとしても致し方ないのではないだろうか、と思わせられた。


こういった事実が「確執」が実際に存在するということの要因に
なっているのだろうか。



しかし私は落語という伝統芸能というか表現形態そのものが好き
なので、立川流家元・四天王柳家小三治さん喬喬太郎三三
各師匠、柳亭市馬春風亭小朝春風亭昇太各師匠、故人で「名人」
と謂われている落語家すべてが好きだ。
野球に譬えたら、野球っていうスポーツそのものが好きで、全チーム
にそれぞれ好きな選手がいる、っていうことになるんでしょうが、落
語は文化芸術であって、勝負じゃないから当たらないだろうか。

 


草月ホールに来るのは3回目。今回は夜の部のみ。

 

開口一番はさん喬師匠のお弟子さん、柳家さん弥さん
『夏泥』

 

立川志らく『らくだ』
屑屋さんがらくだの遺体を抱えて「かんかんのう」を踊らせる、
という部分がこの噺の肝。「かんかんのう」とは、江戸~明治
時代にかけて唄われていた俗謡で、元歌は清楽の『九連環』。
別名『唐人踊り』で、中国由来の唱らしい。
現代人にはなんのこっちゃ分かりませんが、これがなくなったり、
現代風にアレンジされてしまったら、志らく師の御言葉を借りれ
ば「美学に反する」ことになる。同意です。今まで志らく師匠の
高座を何回か拝見してきて、初めて泣きそうになった。と同時に、
イタリア映画自転車泥棒の有名な場面を想起したが、その苛
められる場面の哀切には及ばない。



私は表現の幅が広い志らく師匠の針が、実験的・進化の方向に振
れているよりも、スタンダードな方により多く振れている時が好
きです。再び師匠の御言葉を借りれば、「江戸の風」が吹いてい
る時の師匠の高座が好きですやっぱり。どうしても。


途中、少しうとうとっとしてしまうことがあったが、それは落語の
「音調=リズム」が整っていたから。「それ」に填まるともう、
心地良いったらないです。無論「つまらないから寝ちゃった」なん
ていうことじゃありません。
ドリーム・シアター(メタル色が濃いプログレメタルバンド)の渋谷
公会堂でのライヴに行って、皆スタンディングで拳振り上げてる爆
音の中、後方の席を良いことに、仕事の疲れで半時ぐらい爆睡して
しまったのも、彼らの音楽の基調が「整っていた」からに他ならな
い。



柳家さん喬師匠井戸の茶碗
古典落語の中でも、個人的に非常に好きな噺。悪人が一人も出て来
ない、予定調和のお伽噺とも言えるが、志らく師は前掲書でこの噺
を「馬鹿正直な人間が三人も集まると、物事はまとまらずハチャメ
チャになる」」という視点で捉え、陳腐さを払拭しようとしている。



個人的には、ベタなフィクション、「スタンダード」として、普遍
性をそのままに愛すべき噺だと思っています。あくまでも個人的な
好みです。


さん喬師匠はもう、それぞれの演じ分けがきちっと出来ていて、
ポリフォニー(多声)が見事に確立しており、思わず「上手いよなぁ…」
と心の中で溜息交じりに独りごちてしまう程でした(ど素人なりの了見)。
真打ち、名人の証左の一とは、やはり音声のみで鑑賞できる、というこ
となのではないかと…もう佐太夫は、声・話し方で、「姿も心も良い好
男子」であることがストレートに伝わってくる。

 

座談だが、もう三度目なので、顔を覚えてしまった「ぴあの戸塚さん」
が司会。柳家一門、立川流、遺恨のごときものは存在しない。むしろ好
きだと。徐々に緊張感が解れて和やかに。



素晴らしく充実した一夜を過ごして帰宅。


そう言えばこのぴあ企画の落語会、「オルタナティヴ」という言葉を
使っているが、所謂「オルタナティヴ・ロック」等と同じ意味で用い
ているのだろうか?


aiternativeは英単語で「代替の」「二者択一の」「異質な」「型にはま
らない」等の意味を持つ形容詞。一般的に「オルタナティヴ・ミュー
ジック」とは、「ある一定の概念に基づいたポップミュージックとは
相反する音楽シーンに属す音楽」を指すようだが、落語にもオルタナ
ティヴなジャンルが存在する、というわけですね…「ある一定の概念
に基づいた落語とは相反する落語シーンに属す落語」っていまいちよ
く分からないが…しかし言いたいことは分からなくもない。



タイトルは「水は常に川に向かう」/「金持ちばかり儲かる」という
意味。「立川流」の「川」から連想して適当につけたのだが、思った
より深読み可能な言葉だ。