Impression>Critique

感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

『暇と退屈の倫理学』

『暇と退屈の倫理学國分功一郎 朝日出版社 2011

 

「人間らしい生活とは何か?」
本書のサブタイトルだが、実に根源的な問いである。


   
「誰もが暇のある生活を享受する『王国』、

   暇の『王国』こそが『自由の王国』である。
   誰もがこの『王国』の根本的条件にあずかる
   ことのできる社会が作られねばならない。

   (本書356p)


ネガティヴに捉えられがちな「暇」と「退屈」の概念こそが、
人間らしい生活の絶対条件であると著者は言う。


ハイデッガーの「退屈の形式」、ユクスキュルが提唱した
「環世界」の概念等、興味深い思考方法が、比較的平易な
言葉と論調で語られていく。



著者のひとにものごとを「考えさせる」手捌きが鮮やかで、
素晴らしく手際が良い外科手術を見ているような気持ちに
させられる(著者は大学の教師、言わばその道のプロ、であ
るわけだから当然かもしれないが)。



 
「人間はものを考えないですむ生活を目指して生きている」(325p)

 

   
 「大切なのは、退屈の第三形式=第一形式(本書参照)
 の
構造に陥らぬようにすること、つまり奴隷になら
 ないことである。」
(334p)



考え「させられ」過ぎて奴隷の足枷を外せない自分を省みる。
足元を見よ。


ここで何故か、並行して読んでいた「文藝別冊立川談志」に掲載
されていた、談志の「談話」『敢えて、与太郎興国論』が、妙に
シンクロしてしまった。


与太郎」とは落語の登場人物の一人で、少し脳が柔らか過ぎる
人物として登場するが、実は聡明なんじゃないか、という二重構
造を帯びている。

  
  
  「与太郎は、バカではない。
   世間は、『生産性がない』ということだけで、
  『バカ』という称号を与える。
   けど、与太郎はその上をいく。
  ”バカと言われてもいい”と思っているし、
  ”でも、あたいは働かないよ”と言っている。
  『”働く(金儲け)なんぞ大したことじゃあない。
   人生に意義なんぞ持つと、ロクなこたァない』
  そういうこった。
  意義を持たないでくらせりゃ、そんな結構なことはない。
  けども、人間というのは、意義がないと生きられない厄
  介な生き物だから、その意義を持つことを”よし”として
  いる。

          (『談志最後の落語論』梧桐書院2009 30p)
   


  「一方では、朝は朝星、夜は夜星で働いていた連中が、
  やっと余裕がもてたときに娯楽を求め始める。彼らは、
  常識の世界で働かないと食えない連中なんです。
  世の中、常識がないと、人間、暮らしていけないから、
  皆それを守って暮らしている。ところが、常識には非常に
  不愉快な部分がある。その不愉快な部分を解決するために、
  落語が必要になってきたわけです」

                 (『文藝別冊立川談志』49p)




ドゥルーズが「とりさらわれる瞬間を待ち構える」ために毎週末
美術館や映画館に通ったように、私も(毎週末ではないが)落語会
や美術館や映画館やコンサートやライヴに通う。




偶然か必然か、自分が奴隷状態にある、ということを自覚したら、

取るべき行動はただ一つ、「勉強すること」。自分が好きな分野、
音楽でも落語でも何でも。自らの王国の王(女)となるために。



なべての人に、「暇」を。


与太郎ばかりじゃ務まらないが、
「国立大学から人文系を無くす」なんぞという戯言を、
本気で宣う唐変木が統べる国に、未来はありや?



『人生、成り行きでござんす』。
居残り佐平次」のこの言葉、果たして自分に
そう言える、「資格」はあるのか?