2024年10月9日(水)
「立川らく兵 真打昇進披露落語会 第二夜」
@渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
立川談春『棒鱈』
柳亭市馬『締め込み』
立川志らく『火焔太鼓』
~仲入り~
口上:(下手より)らく次(司会)/談春/らく兵/志らく/市馬
立川らく兵『茶の湯』
今年5月に真打に昇進された立川らく兵師匠は立川志らく師匠
のお弟子さんである。初めて高座を拝聴したのは志らく師の独
演会で、前座の身分だった10年以上前のことだ。独特の雰囲気
と前座ながら達者な口跡が印象に残っている(その頃は自分自身
がへらへらのニワカだったので、ど素人の覚束ない感想の域を
出ず申し訳ない)。
師匠の高評価によるものか、志らく師の独演会に行くと前座が
らく兵師のことが多くなり、自然に応援する気持ちが芽生えた。
同じく5月に逝去された橋本席亭の道楽亭に行ったのはらく兵師
の会が最初で、2012年12月、「立川らく兵ひとりだけの落語会
新宿解放戦線(その2)」という名称の独演会だった。
らく兵師には徐々に固定客がつき始めていたが、私は志らく師
に落語以外への「迷い」が見えたように思ったこととと家庭の
影の濃さが辛くなってきたので(この辺の事情はこの↓記事に詳
述した)、
https://vidroid-y.hatenablog.com/entry/2023/12/24/091414
談春師匠の会に行く回数が増えていき、志らく師の弟子である
らく兵師の会にも足が遠のいてしまった。
と同時にらく兵師には落語家としての危機が何度も訪れた。
破門、亭号剥奪、謹慎、前座降格…自業自得と言えばそれまで
だが。破門しても落語家としての評価は崩さない志らく師に他
の師匠を紹介すると言われても決して受け入れず、志らく師の
弟子であることを望んだらく兵師を、陰ながら見守るしかなかっ
た卑怯な(?)客の私だが、昨年9月に行われた立川流独自の昇進
制度「真打トライアル」前・後編には駆け付けた。
長講を二席ずつ拝聴したが、若木が青々と茂る大木に成長した
様を仰ぎ見るような感慨を覚え、素で落語を楽しんだ。
そして志らく師から真打昇進合格の太鼓判を押された瞬間の嬉し
さは、言葉では言い尽くせない。
後日、こんな薄情な末端客にも真打昇進披露宴に御声掛け頂いた
が、あまりにもおこがましいので辞退申し上げた。
立川流一門会での真打昇進披露興行にも伺えなかった。
そして今日、やっと二日間開催の真打披露興行落語会に一日だけ
だが伺うことができた。
ゲストは志らく師と懇意の柳亭市馬師匠と談春師匠で、主役への
優しくも厳しいマクラとともに、落語二席を至極楽しく拝聴した。
そして志らく師は「二日間来て頂いたお客さんに、師弟比べても
らう意味で」と前置きして、前日にらく兵師がトリで演じた『火
焔太鼓』。志らく師の持ちネタのなかでも特に好きなネタで久し
振りに拝聴したが、疾走するギャグ(クスグリ)はまったく衰えを感
じさせなかった。
そして口上。市馬師の素晴らしい相撲甚句に感動した後(市馬師の
本寸法の浪曲を是非拝聴したい)、らく兵師を挟んで繰り広げられ
た志らく談春両師の口論(?)には度肝を抜かれた。
詳述は避けるが、談志家元にまつわる牽制合戦ともいえる言葉に
よる決闘か芸談を主題とする一幕の舞台を観ているようで、客席
が呆気に取られ、置いてきぼりになった市馬師が気の毒だった。
新規のファンや談志家元及び談春志らく両師の著作を読んで思想
に触れることまではしない客にとっては何のこっちゃ分からず、
何口上のお目出度い場で喧嘩してんの?と訝しんだかもしれない。
しかし私は衝撃を受け、動悸が激しくなるのを自覚した。
どこまでが(主に談春師による)演出なのだろう、と思う程壮絶で
濃密な、通常の口上では有り得ない展開だったが、志らく師から
らく兵師の真打に至るまでの艱難辛苦の「赦し」の道程を聞き、
昨日のらく兵師の『火焔太鼓』の方が時代に即しているし勢いが
ある、という言葉で、肉親以上といわれる師弟間の「情」を実感
した。それは談志家元から伝わる「芸/情」の血脈でもあった。
トリのらく兵師は『茶の湯』。今席のすべてを収斂する比類なき
楽しさの一席を心ゆくまで堪能した。
14年前に初めて自分の意志で落語会に行って以来、最も感情を揺
さぶられ、心に残る落語会だった。
追記:厳密に言うと最も感情を揺さぶられた落語会は、談志家元
の『子別れ』上下(上:強飯の女郎買い、下:子は鎹で、中は抜い
てしまっていた)を最後に聴いた立川談志一門会(2011年1月、練
馬文化センター大ホール)だが、この会は特別で、別次元にある。