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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

『シャティーラの四時間』

ジャン・ジュネ Jean Genet (1910-1986)
が亡くなって約四半世紀が経った。最後の「小説」『恋する虜
UN CAPTIF AMOUREUX』の和訳版が出たのが1994年、鵜飼哲
海老坂武訳/人文書院出版のこの本は、絶版になっている。



現在新刊書店では、ジュネの作品の単行本は滅多に見られない。
しかし、エドマンド・ホワイトによる伝記ジャン・ジュネ伝』
(上・下)(!)は往々にして見受けられる。不思議だ。その作家の
作品は絶版で、その伝記しか読めないという、この状況。


そしてそれは、ジュネという作家の特異性の一面を表している。
つまり、「作品」より「人物」の方が興味深い(面白い)、という
こと。何せ「孤児で犯罪者で同性愛者だから」。



十代後半の思春期にありがちなことだが、ニーチェインド哲学
の陥穽におちて虚無的になり、生命力を失い、自殺願望を抱いて
いた(顧みればただの面倒臭いガキでしかない)私の価値観を転換
させたのが、ジュネ『花のノートルダムだった。


その圧倒的な「肯定」の力強さ、汚泥に咲く純白の蓮の花のごと
き「美」に打ちのめされ、しゃらくさい虚無状態から覚醒させら
れた。あの「美」にもっと浸りたい、それには汚泥に足を突っ込
まなければならない。



それが良かったかどうかは分からないが、要するにジュネのおか
げで命拾いをしたわけで、これはどうしても「けじめ」をつけな
ければならない、という意味を込めて、卒論のテーマをジュネ
した。と言うより、そうするために大学に行ったと言っても過言
ではない。



思い起こせば、あんな体験は二度としたくない、というくらいに
辛い日々だった(口頭試問の時なんか助教授・教授が8人ずらっ
と並んで…今でも夢にみるくらいのトラウマ)。今にして思えば
論文だかエッセイだか分からない赤面ものの内容である。


タイトルは「ジャン・ジュネ研究―ジャン・ジュネにおける『余白』
Une étude sur Jean Genet ―“La marge” dans Jean Genet」だった。


何故そんな大昔のことを覚えているかというと、嘘みたいだがこの
愚論のレジュメが「○大仏文研究」という仏文科の研究誌に掲載され
てしまったからである。主に言いたかったのは、「マイノリティー
<書く>、ということはどういうことか」「エクリチュールの女性性
féminité」「小説家を精神分析することの愚(クリステヴァ批判)」
だったのではないかと思う。



そういうわけで、否応なしに噴出する数々の雑念を払拭しながら、
ジャン・ジュネ著の久し振りの新刊を手に取ったわけである。


『シャティーラの四時間』
鵜飼哲梅木達郎訳、
インスクリプト2010。



シャティーとはパレスチナ難民キャンプの地の名称であり、四時間とは、
ジュネが1982年9月に起きた、パレスチナ人虐殺の現場に足を踏み入れた
(ヨーロッパ人としては最初)時間を指す。ジュネが単調なイデオロギーでは
なく、「愛」のごとき感情でもってパレスチナ人と交流した日々を描いた小
説ともルポルタージュともつかない作品が恋する虜だとすれば、『シャ
ティーラの四時間』は、未消化な生々しい感覚で描かれているため、よりル
ポルタージュに近い。



「その時」から約30年が経つが、イスラエルパレスチナの戦争は止まない。
まるで戦争状態であることが、「日常」であるかのような日々を生きる、と
いうこと。果てしなく、永遠に。「生まれたときからTV(最近ではPCか)があ
る国」と、「生まれたときから戦争がある国」。その乖離。


「…アンデスインディオ、一部のブラック・アメリカン、
東京の不可触民(アントゥッシャブル)、市場のジプシーの
ように、危険が迫ると直ぐさま木陰に逃げ込める、・・・」(p030)


とあるが、「東京の不可触民」とはどういう人間を指しているのだ
ろうか?ジュネは日本に来たことがあり、けっこう気に入っていた
ようだが、単にインドと間違えたのか、いわゆるホームレスを指し
ているのか、私には分からない。


断ち難い「報復」の永久運動、それはいつまで続くのだろうか。
「ぎゅうぎゅうですかすかの世界」?「平和な」日本の哲学は、
幸福であることだ。



他にジャン・ジュネとの対話』(過去「GSジュネ・スペシャル」
という雑誌で既読)、訳者鵜飼哲氏の論考などがあるが、水増し感
を拭えない。しかし、ジャン・ジュネの日本における新著、とい
うことだけで意味深い。



原書『Revue d'études Palestiniens JEAN GENET ET LA PALESTINE』
を何故か持っていて、『Quatre heures à Chatila』の他に、F・ガタリ
E・サイードジュネ論が掲載されていてとても面白そうなのだが、
生活に追われて辞書を引きながら訳しつつ読むことが困難な状況であ
る。…と言い訳しながら同様に「積読」状態なのがJ・デリダ『弔鐘』
(Glas)。1974年に出たこの本の和訳の完訳未だ成らず。これは、もう、
一般人が訳せるようなもんじゃありません。だから未だ成らず、なわけ
だし。『公然たる敵』も刊行予定のようですし、次は是非鵜飼大先生(厭
味じゃなく本気で尊敬しております)に『弔鐘』の完訳を御願いしたい。
それが叶わなければ、死ぬに死ねないような気さえします。



訳者の一人である梅木達郎氏が亡くなったのは知っていたが、自死とい
うことまでは知らなかった。氏の『放浪文学論―ジャン・ジュネの余白
に』は未読なので、是非読みたいと思う。私のようなやくざ者の愚論な
ど及びもつかないような、クオリティの高い論文であると想像する。
こんなバカでも行きつくということからすれば、「余白」(la marge)
という言葉が、ジャン・ジュネの作品世界において、重要なキイ・ワード
mot-clé であることは確定的であると考える。



余談だが、昨今流行りの「新訳もの」について。新訳だからと言って、
タイトルまで変えてしまうのはどうかと思う。最も目を疑ったの
G・バタイユ眼球譚『目玉の話』になっていたことです。
そして光文社新訳古典文庫『花のノートルダム』を訳すのが、
同訳者だと聞いて落胆した次第です。