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THE ELEMENTS OF KING CRIMSON TOUR in JAPAN 2015

2015年12月10日
「THE ELEMENTS OF KING CRIMSON
       TOUR in JAPAN  2015」

@渋谷Bunkamuraオーチャードホール

 

<setlist>

①Peace
②Radical Action(To Unseat The Hold Of Monkey Mind)Ⅰ
③Meltdown
④Radical Action(To Unseat The Hold Of Monkey Mind)Ⅱ
⑤Level Five
⑥Epitaph
⑦Banshee Legs Bell Hassie
⑧One More Red Nightmare
⑨Vrooom
⑩Easy Money
⑪Hell Hounds Of Krim
⑫Suitable Grounds For The Blues
⑬The Letters
⑭Sailor's Tale
⑮In The Court Of The Crimson King
⑯Starless
⑰Larks' Tongues In Aspic PartⅠ(encore1)
⑱21st Century Schizoid Man(encore2)



前回(2003年)から12年振りの、奇蹟の来日。
メンバーは前回の所謂「Line up #6」、
エイドリアン・ブリュー、トレイ・ガン、
パット・マステロットとは異なる形態(フリッ
プ御大はデフォルト)。



これが現時点(2015年)でのKing Crimson最終形態
(「Line up #8」)。
メル・コリンズ、トニー・レヴィン
ジャッコ・ジャクスジク、パット・マステロット、
ギャヴィン・ハリソン、ビル・リーフリン
(ロバート・フリップ御大は不動)。
ギャヴィン・ハリソンは自分的にはお馴染みの、
Porcupine Treeのメンバー、ビル・リーフリンは
フリップ御大のギター・クラフト出身(ドラマーだけど)。



トリプル・ドラムは見た目にも音にも迫力があるが、
所々過剰な感じがしたり、違和感を覚えた曲があったこ
とは確かだ。


⑤『Level Five』ではついA・ブリューのギターの音を想
起して当てはめてしまっていた。


⑯『Starless』はライヴ・アルバム『USA』(1975)のヴァー
ジョンが一番好きだったが、今回のライヴ・ヴァージョンも
素晴らしかった。元々ヴォーカル部分は退屈で、ラストのフ
リップのギターが最高なのだが、今回は色々な感情が綯い交
ぜになり、不覚にも嗚咽。


最も良かったのは⑰『Larks' Tongues In Aspic PartⅠ』だった。
原曲は導入部が長いしラストも尻すぼみな感じが否めず、
普段はあまり聴いていなかったのだが、今回のライヴ・ヴァー
ジョンは吃驚する程格好良かった。思わず「ひょえ~、カッコ
いい!!」と声に出してしまっていた。



本ラスト、King Crimsonを象徴する曲、皆大好き⑱『21st
Century Schizoid Man』ではギャヴィン・ハリソンのソロ・
パートがあったが、超絶カッコよくて身震いがした。
Porcupine Treeとしても、是非来て欲しい(スティーヴン・
ウィルソン氏、御願いしますよ本当)。



それにしても12年という歳月は、ロバート・フリップ御大
の何を変えたのだろう。2003年来日時は、往年の曲は極力
演奏しない、フリップ御大の所にだけライトを当てない、
等のやや神経症的なネガティヴさが際立っていたものだっ
たが。



今回は、往年の名曲オン・パレード。最後、御大自ら御一
人でステージの真中に進み出て、全てのオーディエンスに
向かって笑顔で手を振る、という光景。眩し過ぎました(公
演中の撮影、録音禁止の厳戒態勢は変わらないけれども)。



更にはよく分からないがトニー・レヴィン撮影後に「観客
撮影許可タイム」があり、皆撮りまくっていたが、スマホ
の電源を切って(切らされて)いたため、起動させるのに時
間がかかって、まともな写真は撮れずに終った。



(後でネットを探れば、あれだけの厳戒態勢にも関わらず、
録音する奴はいて、当然のようにネット上にアップして
いる。無節操なことこの上ない)




私は冒頭からずっと立って音に身を任せたかったが、皆さ
んご高齢のせいか終始お行儀良く座っていた。アンコール
以降はずっと立っていたかったが、曲が始まると座ってし
まうし…それが少々不満だった。



しかしながら、高揚と幸福感の一体化、終末の予感と寄り
添う恍惚感…生きていて良かった、今死んでも悔いは
無い、と思えた(少し大袈裟だが)。



G・ドゥルーズが言うところのこうした「取りさらわれる
瞬間」がある限り、人間生きられるなら生きていた方が良
い(ドゥルーズ自身は自らそれを絶ってしまったけれども)。



ほぼ化石化した往年のバンドが名曲を奏でるコンサート、
などという陳腐なもの(それはそれで需要はあるだろうが)
では全くない。
宝石は永遠に宝石として存在する、ということだ。