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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

田辺凌鶴独演会 これも凌鶴あれも凌鶴(第二十五回)

2023年1月28日(土)

 

「田辺凌鶴独演会 これも凌鶴あれも凌鶴」
 (第二十五回)

 @道楽亭

 

田辺一記『甕割典膳』
田辺凌鶴『大山団地の自治会』

~仲入り~

凌鶴『名刀捨丸』
  『いとしの洗濯機』

 

新年最初の道楽亭での凌鶴先生独演会に参加できた。
縦横無尽に過去現在を行き来する番組内容がきわめて楽し
く、特に創作講談は身近でありつつ無限の可能性を感じさ
せる。


一記さんの『甕割典膳』は何度か拝聴しているが、
聴く度にきつく結ばれていた糸が徐々にほぐれる
かのごとく余裕ができていくように感じられて楽
しい。

 

『大山団地の自治会』
一席目のマクラ(前説)がすこぶる興味深かった。詳述は控え
るが、講釈師及び人としての本音が炸裂(不謹慎だが面白過
ぎます)。凌鶴先生の他人を優先しがちな優しさと、親しみ
やすい為人が伺えた。
今席は知人の団地自治会長さん(女性)の体験談を元に作られ
た創作講談で、旭堂南陵先生のギャグ「講談を聞くとために
なる。落語を聞くとだめになる。」をお借りすれば、まさし
く市井の人同士の人間関係の機微を表し、厄介事を解決に導
く「ためになる」講談だ。そしてその意味合いを古典ではな
く創作(新作)講談で表出するのが凌鶴先生の持ち味かもしれ
ない。

『名刀捨丸』
『善悪双葉の松』の異題があり、浪曲では『山の名刀』の異題
もある。落語版も存在する。
治三郎が道に迷い、捨丸の家に辿り着く所から身ぐるみはがさ
れて鉄砲で打たれる所までは、落語の『鰍沢』を彷彿とさせる。
鰍沢』は三題噺由来の圓朝作もしくは河竹黙阿弥作といわれ
ているが、いずれにせよ影響を受けているのだろうか、それと
も単なるシンクロニシティだろうか。
何度拝聴しても最後の場面ではっとさせられる。

 

『いとしの洗濯機』
凌鶴先生がまだ講談師ではない青年だった頃から30年来のお付
き合いの洗濯機がとうとう動かなくなった。その愛用の歴史と
悲しい別れの顛末を語る創作講談。
琴星先生は講談の台本を洗濯機の渦を見ながら覚える、等のク
スグリに爆笑しつつ、身につまされて涙腺が緩んだ。
私も一人暮らしを始めた時、年長の友人に買って頂いた炊飯器
と20年連れ添い(笑)、哀しい別れをした経験がある。
肉親より長い間生活を共にすればそれは単なる機械(モノ)では
なくなる。炊飯器を捨てる時、抱えながら何度もありがとう、と
言いつつ少し泣いたことを思い出した。
恐らく多くの人が同じような経験をしているはずだ。
凌鶴先生のモノ語りは真に迫り最後は温かいお湯のように心に
沁みた。

 

今回もとても良い会だったが、贅沢な空間が勿体なさ過ぎる。
その立場ではないがどうにもできない自分が歯痒い。
常連のお客さんがお弟子さんになったはいいがお客が一人減っ
てしまい嬉しくも悲しい、という言葉が印象深く複雑だった。