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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

第53回神田松鯉の会

2018年11月17日
「第53回神田松鯉の会」
お江戸日本橋亭




神田鯉花『三方ヶ原軍記』
神田松麻呂『伊達家の鬼夫婦』
神田鯉栄『清水次郎長伝 羽黒の勘六』
神田松鯉『佐倉義民伝より 甚兵衛渡し』
〜仲入り〜
檜山うめ吉「俗曲と踊り」
神田松鯉『名月若松城



お江戸日本橋亭は昨年末の白鳥師「ヨチヨチスワン」
以来である。開演45分前くらいに着いたら予想に違
わず既に行列。今日は松之丞さん出演せず、にも関
わらず。木戸で住所を書くと、次回からは会のお知
らせが届くとのこと、何という僥倖。


講談・浪曲共に聴き始めて一年半、歩き始めたみよ
ちゃんで雀の学校ちいぱっぱ、の状態だが、講談は
浪曲よりさらに生の口演を聴いている数が少ない。
そんな超にわかが松鯉先生の会に来たりして、常連
の方々の迷惑にならないだろうかと思いつつも、欲
求には勝てず。


昼に亀有で松之丞さんの独演会があり、その流れで
是非とも、と同じ思いの人が多かったのか、超満員で
羅漢席まで解放されていた。演者に対して冷やかしの
茶々を入れる客が後方にいたが、それは本来講談では
なく浪曲の「作法」だろう。


入門半年の松麻呂さん、初高座の鯉花さんは眉目秀麗、
一生懸命。鯉栄先生はマクラで啖呵の実践をした時の
話を語られていたが、何と言う「男前」な御方か。
私服が何故社長秘書のようになってしまうのか、は少
し突っ込んで心理分析をしてみたいと思わせられた。


松鯉先生のネタ出し二席「佐倉義民伝より 甚兵衛渡
し」「名月若松城」は、共に浪曲にも同内容の演目が
ある(「名月若松城」→「西村権四郎」)。
どうしても浪曲の「節」と三味線を耳が欲してしまう
が、拝聴するうち、松鯉先生の静かな語り芸にすべて
が収斂していく。



檜山うめ吉さんは、確か今年7月の末廣亭夜席で
松鯉先生がトリをとられていた時も、同じ出番で
出られていたと記憶しているが、仲入り後に残る
微かな浮き立ちとざわめきを、真綿でくるんでかっ
さらって行くような清々しさと艶やかさを持してい
る芸人さんである。

 

松鯉先生はあまり張扇を使われない。必要ないがご
とくである。講談とは畢竟「声」「語り」なのだな、
と得心させられ、講談師が他の芸能よりも切実に静
寂を求めるのもむべなるかな、と思わせられた。








































(翌日、「非」であるところの人物関連で、精神的に多大なるダメージ

を受けた。面白半分に揶揄した私が悪いのは確かだが、「親衛隊」なる
ものの存在を匂わせ、そこに属する輩と日常的に用いていたであろう

所の、侮辱的な渾名をわざわざ間違えた体を装って書く、という仕打ち。
常識がないのは同じなのではないか?小学生レベルのいじめみたいなこ
とをして恥ずかしくないのか?それこそ集団で暴力をふるっているのと
同じだ。その輩(多くはおばはん)も同類。自尊心と自己顕示欲はまったく
異なる。そのわけ分からんクラブに属さないファンは、冷やかな眼で見て
いることを知らないわけではあるまい?)