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玉川太福の天保水滸伝連続読み第3回

2018年11月11日
玉川太福天保水滸伝連続読み第3回」
  @赤坂カルチャースペース嶋



玉川太福・玉川みね子
『地べたの二人 「小江戸の二人」』
天保水滸伝第五話 「蛇園村の斬り込み」』
〜仲入り〜
天保水滸伝第六話 「平手造酒の最期」』





『地べたの二人 「小江戸の二人」』は、地べたの二人
シリーズ・定番の「おかず交換」を、江戸時代を年代設
定にし、場所を川越に変えたもので、シブラク「雲はる
フェス」で太福さんの前に出られた小里ん師があまりに
も「お江戸」であったため、かなりソリッドな新作「地
べたの二人」シリーズをやることで、お江戸な雰囲気を
壊すのは躊躇われたが、しかしフェスのメインパーソナ
ティーであるところの雲田某さんは「地べたの二人」
シリーズが大好きな方なので、折衷案として「小江戸
になった、ということらしい。


時代設定と場所を変えるだけで、こんなに新鮮で面白く
なるものかと、少し驚くぐらいであったが、即興性を伴
う「危うい」感じが面白さを増幅させていたのか、正面
を切ったこの度の「小江戸の二人」は半ば戸惑いがちの
ままに進み、途中で「元に戻していいですか?心が折れ
そうで」という嘆きの?言葉と共に、少し未消化な状態
で終わったように思えた。


基本的にはとても面白い「おかず交換」のヴァリエーショ
ンだ。巻き舌の「タルタル」。


また、小里ん師との楽屋でのエピソードも奥深いもので、
太福さんが福太郎師匠の弟子であることを知った小里ん師
はとても親しげになり、福太郎師匠と三扇会をやった時の
ことや、好きだという浪曲の話をなさったらしい。
つまりは師匠の人となりの良さが、
不在でもなお弟子の業
界での処遇に影響を及ぼす、ということである。


そしてメインの天保水滸伝連続読み最終回。

最初の解説を含む太福さんと席亭さんのトークコーナーで
も触れられていたが、講談の天保水滸伝にある「三浦屋孫
次郎の義侠」に当たる段が浪曲にはない。愛山先生伝で、
松之丞さんがよくかけているようだが。


「蛇園村の斬り込み」は抜き読みならぬ抜き「唸り」で何
度か拝聴したことがあるが、「平手造酒の最期」は実に初
めて拝聴した。最後、大利根河原の決闘時、胸の病に侵さ
れた平手造酒も笹川陣営の助っ人に入るが、多勢に無勢、
無念の闘死を遂げる。


その笹川陣営と飯岡陣営が対峙し、平手造酒が竹槍に貫か
れて血を吐いて死す、という一連の畳みかける場面、展開
が早くて追い切れない部分もあったが(後の席亭さんのブロ
グにおける感想に拠れば、細部を省略されていたようなの
で、そのせいかもしれない)、太福さん御自身が多忙を極め、
疲労困憊状況にあることが見て取れたので、極限状況に臨場
感が重なり、目が離せなかった。全身痺れるような感覚。
これは、演劇や他の古典大衆芸能を拝聴拝見したのとは明確
に異なる感覚だった。


講談であれば、多少の振舞いと張扇を叩く音と口述がすべて
だが、浪曲には「節」がある。平手造酒が死を遂げた、そし
てみね子師匠の三味線、太福さんの声を絞り出すような唸り、
平手造酒の最期は~まず、これまで~、の一連の流れの素晴
らしさに、忘我の境地に至った。


浪曲であれば浪花節的にもっと「臭く」なるべき所を、
太福さんには「抑制」あるいは「品」のようなものがあって、
本来浪曲師としては
そうした「抑制」あるいは「品」(照れ)
のような部分は捨てなければいけないのかもしれないが、捨
て切れない、という所が玉川太福という浪曲師の個性になっ
ているように思える。

それは、御本人が仰る「関東節の情緒的部分」に通じるもの
があるとも考えられる。
そして自分自身が太福さんのファン
であり、会に足繁く通うということの理由の一つは、その個
性である、と考える次第で
ある。