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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

立川談春独演会2018@小金井

2018年2月26日
立川談春独演会 2018」
 @小金井 宮地楽器ホール大ホール





立川談春

『おしくら』
『不動坊』
~仲入り~
『夢金』





昨年は小金井のこのホールで独演会が行われる
ことはなかった。
前回は、近隣地域にある某大学に通っていたため、
この地域に詳しい弟子のこはるさんが開口一番を
つとめていたが、今回はなし。



購入した席が最前列。
舞台と席の間隔が異様に狭い。
緞帳が開くと、高座が舞台のかなり後方に設置さ
れている。それでも近い。



出囃子『鞍馬』と共に御登場、いつものように綺麗な
襟足を見せての深いお辞儀。
何かご機嫌斜めなご様子。マクラも素っ気ない。
プライドが山より高い花魁のような、「つーん」と
いう音が聞えそうな冷たい風情。
煙草を止めていたが、半年前からまた吸い始めた、
というのが意外だった。煙草は落語家さんにとって
「装備」のようなものなので、勝手にずっと喫煙して
いるものと思っていたのだ。



正視できなくて、眼が泳いでしまう。



『おしくら』は、定期的にかけられる十八番のようだが、
私はこの全女性(老若問わず)を揶揄しているかのような
噺が好きではない。積極的に嫌い、と言ってしまっても
良い。
『紺屋高尾』をかけるときは、客席に口説きたい女がい
る時(二十代の頃のこと。現在は分からない)、というのと
同様に、『おしくら』をかけるときは、客席に気に入らな
い女がいる時、なんじゃないかと邪推する(同じくネガティ
ヴ思考なもので)。




『不動坊』は記憶が確かならば、談春師では初めて拝聴した。
アグレッシヴな動きを要する噺なのだが、どこかテンションが
低めである。



そして「名残の」『夢金』。
去りゆく冬を惜しみつつ、降っては消える雪を眼で追うかの
ように、所作を逐一見つめていた。
着物の色は冬を追い払うかのような、美しい緑色―花萌黄色か、
木賊色か―、早春の色だったが。




せっかくの最前列、『庖丁』を拝聴したかった。などとは、
一方的な、あまりに一方的な「願い」。



終演、帰宅後、名状し難い感情にとらわれて、
心身ともにくずおれてしまった。
「演者と客の間には、暗くて深い溝がある」。
その自己認識を逸脱し、初めて越えたい、という想いに
押し潰されそうになった。



談春師自らがそう言うように、演者対客の愛なら愛で良いが、
決して成就しないその感情の行き先は、深く暗く冷たい溝の
底でしかない。



詮無くて『談春古往今来』の巻末にある、1993年以降の独演
会演目リストを眺める。もっていないかと思っていた『鰍沢
は、2010年1月に「アナザーワールド」でかけており、翌月2月
横浜にぎわい座でかけて以来、かけていない。
何故なのか。



それは何故か。あのときはどうしてああだったのか。
いつもは答えが得られるはずのない虚しいだけの問い
のすべてに答えが欲しい、という欲求。



今年も勝ち目のない勝負は続く。