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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

立川談春独演会2016@八王子

2016年11月24日
立川談春独演会2016」
 @八王子市芸術文化会館
      いちょうホール大ホール






立川談春

『除夜の雪』
~仲入り~
『夢金』
『替り目』





私用とからめて半休を頂き、うかがいました。
この日は何と54年振りに、11月に東京近郊で初雪。
それも風花などというものではなく、本格的な降雪。
宛ら氷の鳥の純白たる冷たい羽毛が乱舞し、
地面に落ちるその瞬間に、霧消するがごとく。
アスファルトの道路には積もることがなかった。
談春師も仰っていたが、積もらない程度の雪は、
風情があっていいものです。



早めに着いたがトイレに大行列。冷えたからだろうか?
隣席の上品なおば様二人が面白かった。
まず、おひとりに「こんにちは。今日はよろしくお願い
します」と不思議なご挨拶をされた。勿論お二人とも存
じません。
しかし、気持ちが穏やかになったことは確かだ(大体いつも、
傍若無人なマナーの悪い客に悩まされているので。この日も
公演中に携帯電話の着信音が鳴っていた)。



最近の談春師のマクラは、嵐(言わずと知れたジャニーズの)
の誰それとドラマやら映画で共演した話が多く、あまり真剣
に聴いていないのだが、その日はいつもより時事ネタが多い
ような気がしたし、蛭子(能収)さんとのエピソードから、つげ
義春の名前が出てきたことが意外だった。



さてこの54年振りの雪、というシチュエーションに対し、
談春師はどの演目をかけるのだろう、といやが上にも
期待は高まるのであった。
『夢金』か『鼠穴』か、はたまた『文七元結』じゃあるまいね。
それとも公演そのものを中止にするとか・・・
談春師ならやりかねない。



『除夜の雪』。上方新作落語で、故三代目桂米朝が改編した。
その米朝本人にお墨付きをもらう場面が『赤めだか』に出てく
る(「特別篇その二 誰も知らない小さんと談志―小さん、米朝
ふたりの人間国宝」)。初めて聴くので集中したかったが、日頃
の睡眠不足が祟ったのか、1/3ぐらい夢の中に彷徨ってしまった。
会場があったかぬくぬく、というわけではなく、寧ろ少し寒いぐ
らいだった。



『夢金』。やはりこれをかけられましたね。鉄板で素晴らしく、
何年か前の「アナザーワールド」シリーズでの高座を彷彿とさ
せた。この上なき臨場感。しかし、何故夢「金」なのか、とい
うオチが曖昧なまま終わってしまった。



客席の消化不良な感じを談春師が悟ったのか、
「申し訳ないのでもう一席」ということで、
『替り目』。何故この演目チョイスだったのかは
分かりません。
個人的には、落語の演目としてのスタンダードな
「夫婦愛人情もの」はあまり好きではないので(無論
喬太郎師の『芝カマ』は別。未聴ですが)、少しだけ
不満でした。『替り目』は五代目志ん生の十八番で
あったということからすれば、落語家にとって、『芝浜』
と同じく落語という芸能のテーゼのような演目なのだ
ろうか。



ということで、今年の談春師生高座はこの独演会が
見納めだった。苦節6年、ようやく『らくだ』を拝聴で
きたことは収穫だった。来年は、『包丁』『九州吹き戻し』と、
まだ十八代目中村勘三郎が存命だったときに、平成中村座
行われた談志追悼公演(思えば、十八代目は談志逝去の翌年
に、追うようにして逝去したのだった)でかけられた、
『鈴ヶ森』(「白井権八」)を再度拝聴できれば本望です。



また、来年早々、1月に品川プリンスホテルで連日
居残り佐平次』を11日間公演する、という企画が
あるらしいが、いまひとつコンセプトが分からない。
様態としては、志の輔atPARCO、に近いのだろうか。
そこに何となく客を選んでいるような、一抹の厭らしさ
を感じてしまうのは私だけだろうか。



それは私が「いのさん」というフィクショナルな存在に、
ニーチェ力への意志とか善悪の彼岸とか、バタイユ
死に至る生の称揚(=エロティシズム)などの意味をくっつ
けてしまっているからかもしれない。そしてそういう非存
在の存在たる「いのさん」と、演じる談春師の乖離を勝手
に疎んじているだけなのだろう。


とにかく落語家としての談春師に強く魅かれてやまないの
は事実。
全公演追っかけなどしている時間も先立つものもないが、
来年も出来(生き)得る限り生高座を拝聴したいと考える所存
です。



【2017年1月2日追記】
2016年、最も良かった落語会は、この談春師独演会だった。
とにかくシチュエーションが奇蹟的で、惜しむらくは、
談春師のテンションがあまり高くないように見えた。
もし『夢金』の後に、『文七元結』か『鼠穴』か『芝浜』
か、少し情景が異なるかもしれないが、『鈴ヶ森(白井権八)』
をかけておられたら、あるいは語り草になるような高座になっ
たかもしれない。
武蔵国の西のはずれ、多摩・八王子なんぞは、談春師の眼中
にはないかもしれませんが。


さらに、この会が談志の独演会だったらどうだろう、と
夢想する(談志だったらそもそもまずすっぽかすだろう、と
いうのは抜きにして)。


未だ11月だというのに、外は羽毛のような雪が舞い、
「しんしん」と音無き音がし、少しひやっとするくらいの
会場で演じられる『夢金』。そして『文七元結』か『鼠穴』
か、はたまた『鈴ヶ森(白井権八)』か『小猿七之助』…
(『芝浜』は現実に伝説の高座があるので除いた)


書いていて涎が出て来てしまう。
詮無きいち落語好きの妄想です。