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感想ブログ~演芸(落語・浪曲・講談)etc.~

落語立川流in平成中村座

2012年2月20日

立川談志追悼公演
       落語立川流in平成中村座
平成中村座(浅草)



立川談笑金明竹
立川志らく『疝気の虫』
~仲入り~
立川生志『反対俥』
立川談春『白井権八』(鈴ヶ森)
座談:中村勘三郎高田文夫談春志らく
   生志・談笑



平成中村座は仮設歌舞伎座的な施設で、隅田公園内にある。
行き帰りは隅田川沿いを散策がてら。スカイツリーが丸見え。
その斜め下にはアサヒビールの金色のアレ。なかなか良い眺め。
隅田公園には猫がうろちょろしているが、野良猫なのでつれな
い。全然遊んでくれない。

中村座には靴を脱いで入場。すごい熱気。今月は歌舞伎は休業
らしい。2階竹席は、真っ直ぐ向くと舞台と垂直なので、斜め
に見なければならないため、目が寄ってしまう。演者が二重に
見えてしまって、やや気持ち悪くなった。

談笑師の金明竹は、先月調布の志らく師との二人会で聴い
たばかり。座談の時、勘三郎丈が談笑師のおかみさんが自分の
後援会の人だったので驚いた、と言っていてこちらも驚いた。
「お前談志じゃなくて勘三郎狙ってんな」と談春師。

志らく師の疝気の虫はもう四度目くらいか。しかし、他の
落語家さんの疝気の虫と比べると、やっぱり志らく師のは
特別だ。個人的には金玉医者が聴きたかった。生志師はTV
でしか見たことがなかった。初めて拝聴。

談春師、マクラなしですぐ突入(そんな御無体なっ)、痺れます…
ブラックホールに対峙しているかのように、吸い込まれそうに
なる。
後で勘三郎丈が、「今ちょうど鈴ヶ森(白井権八は登場人物
の一)かけてるんだよね。春さん(と、談春師のことを呼称)知っ
てたのかな?偶然だね~驚いちゃった」と言っていたが、知っ
ててやったに決まっているではないですか。ど素人にも明白。

誰もが最も期待して臨んだ座談。正面に、例の家元の満面笑顔
の遺影、座布団。そこに何ヶ月か前に生死の境を彷徨い、無事
生還された高田文夫(立川藤志郎)御大登場。期待の第一声は、
「オセロの中島を騙した占い師とめしを食ったことのある
中尾彬です」。
もうこのお方は、最高、最強です。

上手に勘三郎談春・生志、下手に高田先生・志らく・談笑。
「こっちが芸人で、あっちがイロモノ」と、談春師。
「こっちは頭がおかしい方」と高田先生。
志の輔は逃げました」w

とにかく談春志らく両師匠が同じ舞台上に存在する、というこ
とだけで個人的には大興奮。

 

印象に残ったエピソード①:
志らく師が言いつける形で
「高田先生が、ここのこと避難所みたいだ、って言ってました」。
勘三郎やや憮然。高田先生土下座。


印象に残ったエピソード②:
生志師、出入りの塗装屋さんが好意でくれたシンナー(おい)を、
家元が回し嗅ぎ。弟子にも勧める。また、真打ち昇進の為の踊
りを見てもらっていたが、お互いつまらないので飲み始めたら、
突然家元が「俺下の毛白い毛が一本もねえんだ。見せてやる」
と言って、本当にパンツを脱いで見せた。そしてビデオに撮れ、
と。

 

印象に残ったエピソード③:
談笑師の真打ち昇進記念パーティーの二次会は、懐メロ大会。
志らく師歌いまくり。志の輔師は、自分は歌わないが、志らく
や客に振って、何とかうまくおさめようとする。家元がトイレに
立ち、「志らくは俺の宝だ、宝だ…」と独り言。
それを聞いていた人物が、歌うのが嫌でトイレに隠れていた談春師。
「俺ちゃんときみに伝えてやっただろう?」と志らく師に恩着せが
ましくする談春師。

 

印象に残ったエピソード④:
家元・上岡龍太郎毒蝮三太夫の三人で、あるホテルの一室で飲む、
打つ、買う、の買う行為、で一人の女性を色々と…その外で鞄を持っ
て一人立っていたのが談春師、うら若き番茶も出花の十八歳。どう
でもいいが、志らく師は、生志師に対抗していたというか、割と負
けず嫌いなのかサービス精神旺盛なのか。涎までたらして高田先生
に「涎たらしてんじゃないよっ」と言われていた。

 

印象に残ったエピソード⑤:
談志家元の訃報が公になった11月23日。
勘三郎丈が桜橋を歩いていると、あるまいことか快楽亭ブラック
と遭遇。
「家元がねえ…ああ、そう言えば師匠は破門されたんでしたよね」
「違う、俺の方から辞めてやったんだ」。

 

印象に残ったエピソード⑥:
談春師が、「黙して語らないのが自分の追悼だ。志らくさんにはこ
の気持ちは一生分からないだろう」、と志らく師を批判している、
との噂を志らく師本人が追及。これはアナザー・ワールドのマクラ
でも聞いたが(その時は、自分の所ばかりに何故聞きに来るのか、ま
志らくさんは頭がおかしいと思われているし、などと言っていた)
マスコミを牽制してのことで、志らく師を非難しているわけではない、
と。


皆さん、家元の本当の息子さん達が思い出を語っているみたいだった。
和やか。切なさ。交互に入り乱れ。
奇跡的にチケットを買えた幸運に感謝。生涯思い出に残りそうな追悼
公演だった。


帰りの隅田川の天鵞絨めいた暗い水面、スカイツリーの青白い佇まい、
冷たくやや川の匂いが混じった空気を、忘れない。

 

※追記:十八代目中村勘三郎丈は、あろうことか、10か月後の12月5
日に57歳の若さで急逝された。

※何でそんなに覚えているかって?元々好きなことは覚えが良いうえ、
後でメモっていたからです。
神仏に誓って録音などしておりませんの
で、念のため。