LA FOLLE JOURNÉE AU JAPON
の今年のテーマは「バッハとヨーロッパ」。
すべて聴きたいぐらいだったが、懐具合的・
物理的に無理なので、迷いに迷った末最終日
の『マタイ受難曲』を選択。
終わるのはPM11:00…終電ギリギリなのでは。
都市部住まいの田舎者にはやや辛い。しかし、
ミシェル・コルボ指揮、ローザンヌ声楽・器楽
アンサンブルの「マタイ」を通常の半額以下
で聴けるなんて滅多にない好事です。
2005年に同じ面子の「マタイ」をサントリー
ホールに聴きに行き(S席で倍以上の金額、
席も1階18列などという素晴らしいお席)、
感動のあまり号泣した記憶が未だ鮮明のまま
脳裡にある。
もうほとんど嗚咽、涙と鼻水が止まらず、隣席
のおっさんが「なんだか湿っぽくなっちゃった
なあ」と呟いたので、心の中で申し訳なく思っ
たのだった。
しかし、このおっさんは、アンコールでコルボ
氏が出てきたとき、当然撮影禁止のはずなのに
携帯のカメラでパシャ、などとやりくさりやがっ
たのだ。
会場係員に「やめてください!」と注意されてそ
そくさと出て行く・・・ところを思いっきり足を
蹴飛ばしてしまいました。
腹が立って、つい。反省はしていません。
号泣の一因は、「カウンタ・ーテナー」の素晴ら
しさにあった。ヴァイオリン・ソロと共に歌われ
る、最も有名なアリア「憐れみたまえ、わが神よ~」。
「透明な歌声」とか手垢のついた言葉を弄しても
虚しいだけだ。
この時はスクリーンに対訳の歌詞が映されていたの
だが、その内容が不敬だが人間同士の関係のように
も思え、さらにカウンター・テナーということで背
徳的な趣さえ感じ取ってしまったのだった。
この歌手はカルロス・メナ、という名で、スペイン
の人らしい。
メナのアリアを今回も聴けるのでは、と思ったが、
「マタイ」の前の『ミサ曲ト短調』他にしか出演しな
いとのこと。今回はそちらを聴けばよかっただろうか。
しかしコルボは2003年に大病をし、復活したとはいう
ものの、あと何度お目にかかれるか分からない。
これでいいのだ、と一人納得。
『マタイ受難曲』をコンサートで聴くのはこれで3度
目だ(多分)。最初に聴いたのは10年以上前で、
ペーター・シュライヤーが指揮兼福音史家、聖トーマ
ス教会少年合唱団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス
管弦楽団という贅沢な構成だった。
ほぼ同じ面子のCD(ドイツ・輸入版・3枚組。
「BERLIN Classics」、2005。ドイツ語分からん)
を持っているが、名盤である。
(2019年師走追記:ペーター・シュライヤーは2019年
12月25日、クリスマスに84歳で亡くなった)
さて今回は。2005年の時より規模が小さいように見える。
スクリーンに映されるのは対訳ではなく演奏者だ。
お、福音史家(テノール)のダニエル・ヨハンセン
という人は、ブラッド・ピットをちょっと情けなくしたよう
な感じ。服はビジネスマンのスーツみたいだ。
ローザンヌ器楽アンサンブルのコンマスは女性だが、
2005年の時は男性だった。この女性は演奏は上手い
ががいまいち硬い(あくまでも個人的好み)。
所々古楽器を用いていたが、これがリュートか?
音ちっさい。古楽器はおしなべて音が小さく聴こ
え、そのことが神秘性を増す。
コルボ氏、何度もアンコールに応えるが、足をひき
ずっていて痛々しい。号泣はしなかったが涙目。
今回も素晴らしい演奏だった。
そういえば、この東京国際フォーラムのトイレは狭
すぎる。「何か理由があって狭くした」、としか思
えない。
前回ここに来たのは確か最初で最後のロキシー・
ミュージック再結成LIVE、だったはず。
あれも感動もののLIVEでした。「もう見られない」
ということが加味されたからかもしれませんが、
「夢のような」一夜、というのはこのことかとい
うくらい絢爛豪華でした。羽背負った「踊りのお姉
さん」とかいましたし。
(2011年9月追記:ロキシーは昨年の「フジロック」
にご出演。行きませんでしたが)
今度は是非同じ面子のフォーレ『レクイエム』を聴き
たいものです。そのためにはコルボ氏に長生きしてい
ただかないといけません。